第一章 たび道連みちづ



 山間やまあいの小さな村から旅立つ者にも色々いるが、その日旅立つのは神官を目指す一人の少年だった。
 神官になるというのはそう容易たやすいことではない。コルディア全土に普及している教会の神官の数は当然少なくは無いのだが、その門は狭い。まずは見習いとして修行に入る前に城で証明書を発行してもらわねばならないのだが、そこで最初の試験があり、志願者の約半数が落とされる。その後も昇級の度に筆記や実技等、幾つもの試練が待ち受けている。
 それでも神官志願者は後を絶たない。信仰心の篤い者にとっては純粋な憧れの職であり、そうでない者にとっても、経済的、社会的地位の面から見て魅力的な職なのである。
「気を付けてお行きよ。お前はどこか抜けていると言うか、お人しと言うか……」
「わかってるよ、母さん」
 三ヶ月前に出発が決まった時から毎日毎晩繰り返される言葉を、少年は優しく微笑して受ける。
「体に気を付けて頑張るんだよ。でもね、本当に無理な時には帰っておいで」
「はい」
 これも何度も繰り返されたり取りなのだが、少年は嫌な顔一つしなかった。今日十五歳になったばかりの一人息子を送り出す母親の気持ちはよくわかる。
「元気でな」
 父は短くそう言っただけだった。
「はい」
 それにも素直に頷く。
 経済効果はさて置いても、教えが広く浸透しているということもあって、上位神官にでもなろうものなら、一族は元より村全体の名誉となる。
 今まさに神官への道を歩み出そうとする少年は、村の期待を一身に受けていた。
「頑張れよ、アーイス」
「立派な神官におなりよ」
 何より、彼は期待を受けるに相応しい少年なのである。頭がよくて信仰心篤く、穏やかな性格をしている。その上、常人にない『力』がある。彼を知る者は皆、彼がゆくゆくは上位神官となるであろうことを疑わない。
「そんで嫁さんもらって両親安心させてやれ」
 冗談めかしてそんなことも言う者もいた。
 教会では神官の結婚を禁じてはいない。それによる堕落が認められた場合に破門になることはあるが。
「それじゃ、いってきます」
 口々に励ましの言葉を送ってくれる村人達にも笑顔を向けて、少年は故郷を後にした。


「い〜い天気だなぁ」
 城のある首都までは普通に歩いて一週間は掛かる。少しでも早く神官になりたいという気負いから一日目はかなりのハイペースだったが、翌日には天候に誘われてのんびりとした気分になった。気持ちよさそうに呟いて大きな欠伸あくびをする。
 育った村の気質なのか母親が心配する彼自身の特性なのか、少年は少々おっとりしているように見えた。後ろで一つに束ねた腰まで届く淡い金色の髪も、明るいライラック色をした大きな瞳も、穏やかで優しい少年の気質をよく表している。腰に吊られた細剣レイピアなどお飾りにしか見えない。
 そんな彼に合わせたかのような穏やかな天気といい、人通りの少ない日当たりのよい道といい、ひたすらのどかだ。
「ふぁ…」
「キャー!」
 しかし二度目の欠伸は唐突な悲鳴によって中断された。
「あっちか!」
 のどかさの代わりに正義感と厳しさを浮かべる顔で、少年はすぐに道をれて声のした方へと駆け出す。一応整備された街道から未整備の山の中に入ることになるが、山間出身の少年は慣れたものである。
「嫌です! やめてください!!」
 声の主はすぐに見つかる。そこでは金髪碧眼の絶世の美女が、山賊と思しき男達に取り囲まれていた。旅装であるところを見ると、街道からここまで引きずり込まれたのだろう。そして更に奥へと連れて行かれそうに見える。
「そう言われて『はいそうですか』とやめると思うか?」
「あんな山道を女一人で歩いてるほうがわりぃんだぜ」
 男達は品の無い笑みを浮かべて美女の腕を握っている。彼女は必死でもがいているが、とても振り払えるようなものではないだろう。
「待ってください!」
「何じゃい」
 突然現れた邪魔者に一瞬殺気立った男達は、相手がおとなしそうな少年であることを見て取ると、新たなカモと判断したようだ。美女をキープしたままゆっくりと少年を取り囲む。
「どういう理由があるのかは知りませんが、その方は嫌がっています。多勢に無勢──それも女性相手にそのようなことをするのはいけないことですよ」
 流石は神官志望者。危機的状況をものともせず、山賊相手にいきなり説教である。
「こっちゃ悪いと知っててやってんだ。坊やに説教されたぐれぇじゃやめられねぇなぁ」
「痛い目に合わされたくなかったら、金目のもん置いてとっとと失せな」
 男達は『完全悪者マニュアル<入門編>』などというものがあったら絶対に載っていそうなお約束の台詞を吐いて笑った。
「……話し合いで解決する気は無いんですね?」
 少年はひどく哀しそうな顔をする。
「当たり前だ」
「どうしても?」
「くどいガキだな」
「……天上の神々よ、未熟な僕が彼等を裁くことをお許しください」
 祈りの言葉を呟いて、アーイスは細剣を引き抜いた。
「へっ、今日びのガキは危ねー玩具おもちゃ持ってやがる!」
「やっちめぇ!!」
 一人の号令と同時に、男達はそれぞれに体格に見合った無骨な武器で少年に襲い掛かる。彼等の予定では、それに対するおとなしそうな少年と細剣はひどく頼りなく、あっさりと屈服するはずだった。適当に痛い目を見せて人買いに売り払おう、顔がいいから高く売れる、とまで考えていたのだが。
   トッ
   ヒュヒュンッ
 聞こえたのは少年が地を蹴る音と、何かが素速く空を切るような音。
「……まぁ、これも『お約束』ってとこかな」
 風のように彼等の間を擦り抜けた少年がボソリと呟くのとほぼ同時に、
   はらり
「ぎゃ〜!」
「ふっ、服がっ!!」
 余りにも聞き苦しい声を上げる男達が余りにも見苦しい姿を曝していた。
「どうします? このまま立ち去って心を入れ替えますか? それとも……」
 少年はにっこり笑って顔に似合わず物騒なことを言う。
「赤い服が着たいですか?」
 細剣が木漏れ陽を弾いて眩しく光り、少年の目元に怪しい陰を作った。
「ひ、ひぇぇぇっ!!」
「ばばばばば、バケモンだぁぁっ!!」
 素直に前者を選んだのか、男達はどこかへ一目散にすっ飛んで行った。
「バケモノだなんて、傷付くなぁ」
 アーイスは苦笑しながら剣を収める。
「お怪我はありませんか?」
 美女に向き直って柔らかく微笑む。後数年もすれば立派なマダムキラーになれるだろう。当然、自覚は無いが。
「え、ええ……大丈夫ですわ……ツッ」
 彼女は急にしゃがみこんで左足首を押さえた。
「失礼します」
 傍らに膝を付いて彼女の手をそっと外させると、少年は医者の如き手つきで患部に触れる。
「……腫れてきてもいませんし、少しひねっただけでしょう。大丈夫ですよ」
 にっこり笑いながら顔を上げると、すぐ近くに美しい顔があった。潤んだ瞳が少年を見詰めている。
「お風邪を召されているのでは? 顔が赤いですよ」
「そんなことをおっしゃるなんて、無粋ですのね」
 拗ねたように俯いた後、彼女は愛らしい上目使いでまた彼を見詰めつつ、その腕に触れた。見た目よりも筋肉質であることが服の上からでもわかるのか、その頬がほんのりと染まった。
「あの、はしたない女だと思わないでくださいましね……わたくし、一目見て貴方を……」
 かぐわしき香りが鼻孔をくすぐり、美女はアーイスに口付けようとする。並の男であれば抗うはおろか自分から彼女を抱きすくめるかもしれないところだが、彼女にとって不幸なことには、アーイスは『並の男』には当てはまらなかった。
「イタズラはその辺りまでにしていただけませんか?」
 彼女の両肩を優しく押し戻して、彼はただ困ったように笑う。
「イタズラだなんて、そんな……」
 美女は傷付いたような眼差しを向けたのだが、少年はやっぱり困ったような笑顔を崩さなかった。
「だって貴女、今のそれ・・は本当の姿じゃないでしょう?」
 そう言われた瞬間、彼女は少年の手の内から凄い勢いで跳び退いた。
「そんなに逃げなくても……とりあえず、元の姿に戻られたらいかがですか?」
 そして彼は決定的な一言をにっこり笑ってのたもうた。
「精霊ですよね、貴女」
 まるで何でもないことのように至極あっさりと。美女は完全に固まってしまう。
「……ええいちくしょうっ! 言われなくたって戻ってやらぁ!」
 台詞セリフの割には答えるまでに時間が掛かったのだが、その辺りのことはツッコマない。
 ともあれ、今までとは打って変わった態度でそう言った彼女は、すっくと立ち上がると同時に十五、六歳の少女に変わった。絶世の、とは行かないまでも美少女であることは間違いない。ラズベリー色の気の強そうな瞳と、一つに束ねた同じ色の髪。多少珍しい色合いであることを除けば、人間の少女と変わるところは無い。
「人間大の精霊にお会いしたのは初めてです。嬉しいなぁ」
 彼女の見事な変身に拍手を送りながら喜ぶ少年。多分元々、美醜は目に入っていない。
「それにしちゃあ感動が薄いぜ」
 精霊の少女は粗雑な言葉遣いで言った。
精霊あたしの術を見破るなんて、お前何者だよ」
 少年を睨む彼女の瞳には、しかし脅えの色がはっきりと浮かんでいる。幻術を使う精霊にとって、それを見破る存在は驚異である。
「何者、と言うほどの者では……田舎から出て来たただの神官志望者なんですけど」
「『ただの神官志望者』が、精霊の術見破ったりあっさり山賊あしらったり出来るか」
「そんなことおっしゃられても……」
「…………」
 心底困った様子のアーイスにまだ脅えと疑いの混じり合った視線を向けつつも、彼女は何事かを思案している様子だった。どうしたのだろうかと見詰めていると、やがて彼女は溜息をついてそれをやめた。
「とにかく、見破られちまったもんはしょうがねぇや。あんたに付いて行くぜ」
「……はい?」
 余りにも唐突なその申し出には流石に虚を突かれ、アーイスは呆然としてしまう。それがお気に召したのか、少女の口元に初めて笑みが浮かんだ。
「色々と掟があんだよ。術を破られたら、殺す、殺される、付いてくの三者択一。お前を殺すのは面倒そうだし、殺されるのは最悪。そしたら後は『付いてく』しか残んねぇだろ?」
 彼女はさも当然といった調子で説明する。
「ま、そんなわけでよろしく」
「『よろしく』って…」
「いいからいいから。あ、あたしの名前、リレンね」
「僕はアーイスといいます。……って、名乗っている場合ではなくてですね!」
「その言葉遣いやめろよ。背中がムズムズする」
「ごめんなさい気を付けます」
「直ってないだろそれじゃ」
「ごめん。って、だからそういう問題じゃ無くて!」
 人の好いアーイス、すっかり少女のペースにはまってしまっている。また彼女が少年の困惑に頓着しないのである。むしろそれを楽しんでいる様子でけらけら笑う。
「ほら、『旅は道連れ世は情け』って言うだろ?」
「君は旅してるわけじゃない!」
「お前はしてるじゃん。ほら、間違ってない」
「そんなの…」
「それよりその『君』ってのもちょっとアレだけど……まぁいいや、大目に見てやる」
「リレン!」
 流石に厳しい声で名を呼ぶと、彼女はふっと俯いて黙り込んだ。
「え、あの、あ……」
 アーイスはそのギャップにおろおろしてしまう。
「……あたしに掟を破れって? お前に殺されるのを選択しなくたって、掟を破った者には死、あるのみ──仲間の手に掛かってあの世行き、か……」
 今までとは一転してひどく弱々しく消え入りそうな様子で、彼女は半ば独り言のように呟く。
「…………わかったよ」
 情に訴えるような真似をされては、それ以上突っ撥ねられない。お人好しの少年は白旗を揚げ、精霊の少女は顔を上げて勝利の笑みを浮かべた。


―― 続 ――



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